浅草寺本尊御示現 宮神輿「堂上げ・堂下げ」
江戸時代以前は、浅草寺との関係性から祭礼自体が観音祭(浅草祭)と呼ばれ、本来の御縁日に因んで三月十七・十八日の両日(及び六月十五日)に行われていました。
現在の様に担ぎ手による神輿の渡御ではなく、当時は浅草寺本堂外陣へ宮神輿が安置され、また神事びんざさら舞も堂前の舞台で披露される観音堂中心の祭事であり、そこに各町から世相を表す趣向を凝らした山車が集まりその絢爛さや豪華さを競い合い、その後に宮神輿が隅田川に移される舟祭が主となって行われていました。
そうした昔の祭礼の一部を現代に復元させようと、平成の御代になり毎年三月には、宮神輿にお移りになった三社様が浅草寺本堂に籠もられ観音様と一晩をお過ごしになる「堂上げ」「堂下げ」の行事が恙なく斎行されています。
舟渡御
昔の祭礼は丑・卯・巳・未・酉・亥の隔年が本祭で、舟祭を行うに当たっては、隅田川が殺生禁断の地域となった事等から大森(現品川区大森)に移り住んだ漁師達が、遠く安房・上総からも漕ぎ寄せた船によって供奉され、観音堂から浅草見附(現浅草橋)まで運ばれた宮神輿を船に乗せ隅田川を漕ぎ上がり、駒形岸もしくは花川戸岸(東参道先)から上陸し神社に担ぎ帰るといった内容で、現在の氏子のみならず蔵前や浅草橋の各町までもが参加する「助祭(すけまつり)」とも呼ばれていました。
正和元年(一三一二)に三社の神話に基づき舟祭が始められたと伝わる事から、三社祭斎行七百年を記念して古儀を再現するべく、平成二十四年(二〇一二)に「舟渡御」として、約半世紀振りに隅田川上において厳かに斎行されました。